この春に金沢市民念願の北陸新幹線が金沢まで開通し、金沢の街は賑わっています。そしてこれも念願のフルマラソンの第1回金沢マラソンが11月15日に開催されました。あいにくの雨模様でしたが、金沢も街を12000人のランナーが駆け抜けました今回の”What's New ”のコーナーでは、その模様をご紹介します。
 大阪マラソンも引き続き掲載中です。


第5回金沢マラソン


加賀百万石の城下町、金沢での初のフルマラソンのロゴマークは、加賀鳶に因んで纏を持って走るランナーをイメージしています。
完走メダルも同じデザインで、オシャレな感じです。

今大会にも救護班として参加し、コースを走りながら不慮の事故に備えました。
 前夜から雨が降り、大会当日もまだ降っていました。
 スタート地点は金沢城のすぐ横で、ここででスタートを待つ間にも雨は結構な勢いでした。
 幸いにもスタートの号砲が鳴った時には、雨は止んでいました。


 スタートして金沢城の東側の周り、兼六園下を左折して金沢駅に向かいます。
 新幹線開通のために新しくなった金沢駅で折り返し、海鮮物で有名な近江市場を見ながら香林坊を通り抜けます。


 寺町と呼ばれる寺院の多い地区を過ぎると、市街の東地区の緩い上りが始まりました。紅葉がきれいです。


 金沢マラソンのエイドには、「食べまっしステーション」が4か所設けられています。そのひとつがカレーステーションです。
 今回初めて金沢カレーなるものの存在を知りました。20年位前からあり、少しずつ知られるようになったそうです。
 これまで多くのマラソン大会に参加しましたが、カレーのエイドは初めてです。


 スタート後も時々小雨がぱらつく天気でいたが、それでも応援は賑やかでした。
 
ゴールまで声援が途絶えることはなく、多くの参加者がそれに感謝していました。


 よい条件とは言えない中での第1回金沢マラソンでしたが、心肺停止は出ませんでした。ただ低体温症などで15名が救急車で搬送されました。



第5回大阪マラソン


ジミー大西さんが描いた今年の大阪マラソンのポスター(左側)は、評判になりました。

 今年で第5回を迎えた大阪マラソンが無事に終了しました。メディカル・ランナーとして第1回大会から参加していますので、これまでとは少し異なった今大会の様子をお伝えします。
 

 
これまでの大会とはいくつかの点で違いがありました。
(1) フルマラソンの定員が今年は2000名増えて、3万人になりました。それでも倍率は4.4倍です。
(2) 新たに連続落選者枠が設けられ、連続して抽選に外れた人の救済措置が取られました。
(3) 一定以上のフルマラソンの記録(40歳以下男子で3時間以内)を持つランナーは、先着順でエントリーできる枠も新設さえました。
(4) 七色チーム対抗戦
  チャリティー目的別に7チームに分かれ、完走者の平均タイムで優勝を決める対抗戦です。
 優勝チームには500名分の来年の大阪マラソン出場権が与えられます。


 第5回大会の医事・救護体制は過去最大級で、スタッフは全部で861名です。
 コースを走るメディカル・ランナーは、医師(日医ジョガーズ)45名、看護師18名、救急救命士16名でした。
 救護所は19カ所、移動AED隊32名、固定AED隊83名、AEDサポート隊105名、用意されたAEDは計75台です。

 今年の参加記念Tシャツは黄色がベースで、少し色づき始めた銀杏の葉とマッチしていました。
 スタート会場では仮装ランナーがTV取材を受けていました。


 毎年の事ですが車が全く走っていない御堂筋を駆けるのは、本当に爽快です。

 今年は秋晴れで、青空がよく映えました。 最高気温が21度と高くならず、熱中症も殆ど出ませんでした。



 中央公会堂、大正橋を超え、難波に戻り、恵美須町で通天閣を見てから西成地区に入ります。応援が賑やかで大阪らしいところと、評判が高い地区です。


 南港地区に入り港大橋が見えてきたら、後3㎞くらいです。スタートから5時間半を過ぎると、殆どの選手は歩いています。
 あと220mの表示が見えると大きな声援が湧き始め、みんな再び走り始めます。

今大会も日医ジョガーズ会員が45名参加し、コースを走りな
がら傷病者のケアに当たりました。

 

 天候に恵まれたせいか完走率は97.6%と高いものでした。
 救急搬送は17件で多くありませんでしたが、3年振りに心肺停止が2名出ました。
 幸いにしてAEDで救命されました。

第1回から今回までの大阪マラソン参加記念Tシャツ