新型コロナで大阪に緊急事態宣言が出ているので、今年の夏休みは信州の上高地で過ごしました。本当は北アルプスを縦走したかったのですが、山小屋は密で危険なため、麓のロッジにステイしました。天候があまり良くない時期でしたが、公園内を散策したり、雨のが止むと近くの山を登ったりしました。
 
今年はまだ一度も更新ができていない"What's New"で、その模様を紹介します。


2021年 上高地の夏休み

  長野県西部の国の特別名勝で特別天然記念物に指定されている上高地は、中部山岳国立公園の一部です。
 「かみこうち」の名称は本来、漢字では「神垣内」と表記されていました。神垣内とは穂高神社の祭神がこの地(穂高神社奥社と明神池)に祀られていることに由来します。
 後に現在の上高地の漢字表記が一般的になったそうです。

 これまで何回も上高地を訪れていますが、殆どは槍や穂高などの山の帰りでした。今回初めて6日間上高地に滞在しました。

 上高地まで梓川沿いのバス路線が開通したのは、昭和の初めです。
 それまでは松本電鉄で島々まで行き、そこから徳本峠(とくごうとうげ)越で上高地に入りました。

 島々から徳本峠まで約7時間掛かって辿り着き、目の前に聳える穂高連峰を見てみんな息を飲んだといいます。

 その中には、日本アルプスや上高地を世界に紹介したウォルター・ウェストンや高村光太郎、芥川龍之介もいました。


 新島々からの道は現在修復中だそうで、上高地側から徳本峠を訪れました。河童橋、梓川、明神岳が出迎えてくれます。

 

 明神を少し過ぎてから槍や穂高に向かう道と分かれ、徳本峠への道に入ります。
 所々道が荒れて修理した部分が見られます。またここも熊が出たそうで、注意を呼びかける掲示があります。


 上高地でのステイは、前半は徳沢ロッジで、後半は上高地アルペンホテルでした。
 徳沢ロッジは若い頃に槍の帰りに一度と、小学生だった娘と家内を連れ、燕岳、常念岳、蝶ヶ岳の縦走の後で宿泊した懐かしい宿です。

  地ビールが嬉しいです。


 徳沢ロッジのお弁当は鶏と豚角のちまきおこわです。
 土砂降りの雨の中で食べたのですが、おいしかったです


 上高地に入り初日は晴れましたが、その後2日間雨でした。そして雨が上がったので、西穂高岳に行ってきました。

 登り口にはゲートがあり、ここで登山届を出します。西穂山荘までは約3時間の登りで、上がるにつれて焼岳が目の前に見えます。
 写真中央は西穂山荘と焼岳で、焼岳の左後方奥には乗鞍岳が見えます。
 そして眼下には上高地が広がります(写真右)。中央下の赤い点が上高地帝国ホテルで、右の方に大正池が見えます。正面の山は霞沢岳です。


 左は西側(飛騨側)に聳える笠ヶ岳です。一昨年はそこから槍ヶ岳まで縦走しました。
 中は西穂高岳、右は奥穂高岳、前穂高岳と岳沢です。上高地の河童橋から真正面に見える沢が岳沢です。


 この日のお昼ご飯は、アルペンホテルで朝食代わりに用意していただいたお弁当です。
 そして自分へのご褒美として、豪華な夕食を地元信州のワインと一緒にいただきました。


 上高地アルペンホテルは河童橋から近く、北アルプス山歩きの後でいつも宿泊しています。最後に温泉に入って、おいしい食事をいただいて山を下りるのが恒例です。
 登山者用の2段ベッドのハイカーズルームは、今回は定員の4分の一以下しか使っていませんでした。


 上高地の有名な河童橋に立つと、穂高岳の反対側に見える山が焼岳です。標高2455mの活火山で、常時観測対象の火山に指定されています。
 大正4年の大爆発で梓川がせき止められ、大正池ができたことはよく知られています。

 帰る前日、雨が午後からの予想だったので、午前中に焼岳に上ってきました。


 焼岳の山頂付近には監視装置が設置されています。
 丁度北峰の山頂に着いたときは、ガスで何も見えませんでした。南峰は危険なため立ち入り禁止です。
 ここからも上高地がよく見えました。


 上高地散策

穂高神社と明神池


 田代池、田代湿原、大正池への遊歩道、大正池、ウェストン碑、明神館の岩魚の塩焼き(焼き上がるまで25分)



 大阪に帰る前夜からまたすごい雨と風で荒れ始めました。13日朝一番のバスで上高地を逃げるように発ちました。
 その日の夕方6時に道路が封鎖され、再開されたのは3日後であったと後で知りました。